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喋るそれはまさに



野村さんておじさんがいて

その人はその当時もう65くらいだったと思う。

僕は掃除屋をその頃始めて、定例で入る現場がその野村さんがいた職場で。

頭はパンチパーマだし、熊みたいな雰囲気でおっかなかったんだけど、その人がその現場の控室に入って僕を見つけて『彼誰?』って周りに聞いて、定例のヘルプの子ですなんて話をしたりしてて。僕はとりあえずヤ◯ザがきたとしか思えなかったから『腐れおっかねぇ!!』とか思ってたと思う。



そしたらその野村さんが両手に持った10個くらいの弁当の箱のうち3つ位を僕に投げてきて。



『アンタ食べなよ』って渡されて、それはね20代前半の僕は『残したら殺られる』そう思いまして思い切り食べました、ちなみにその職場は20代は僕1人であとは50代超えのおじさんばかりでそこのリーダーが野村さん。
例外で30代だった白井さんがいたけどそれは後として。


んで夢中で喰ってたら顔の目の前に座られてずっと見つめられまして、『どうしましょう殴られそうなんだけど』とか思ってたら一言。



『アンタ良く喰うな、旨いか?』




とか聞かれて『旨いっす!!』って答えたら








翌日から10個位の弁当を毎日渡されました。





野村さんはそうゆう人。



あらゆる事が豪快でメチャクチャな人だった。周りのおじさん達も一癖も二癖もある人でいつの間にか一週間限定で1人ヘルプに行っていた僕は会社に『あの現場で固定で働けないでしょうか?』って言ってた。


なんか楽しかったから。



折良く人が辞めていたのもあり、その現場で固定で働かせて貰えるようになった。



アクの強い人ばっかの中で僕みたいな小僧は1人、良く怒られたし、褒められた。そこの人は会社を10億の借金を抱えて倒産した鈴木さん、劇団ひまわりに在籍してた頃があって毎日のようにソープに行ってはやる事はやらずお話とミスタードーナッツだけ渡してニコニコ帰ってくる井上さん、趣味をあらゆる事をしててハングライダーからサーフィンまでなんでもしてるんだけどブラックリストにザックリ入ってる間宮さん、それから僕が入って半年くらいいた30代くらいで控室では毎日白のブリーフパンツのみで股間に手を突っ込んでる白井さん、そして僕内での伝説として僕の事を『アンタ邪悪ね!!』とキレて流石に僕もスーパーキレた相手の村田さん。村田さんは中国から帰化した人、ちなみに鈴木さんは本名は別の名前ですが正式な名前を失った方。






カオスな人達だった。野村さんの話しようとしてんだけど鈴木さんの話だけで大変な量になる。



とりあえずいつか気が向いたらそれは書くとして野村さんて人はあんまし喋らないんだけど、当時職場で間宮さんが400CCのアメリカンバイクを乗ってきたら『おぅ、それかっこいいな。』とか言ってたなと思いきや二週間後には限定解除の本物のハーレーを買ってきて、それから本当に免許まで取って楽しそうに乗ってくるとゆう2次元的な事を平気でポンポンしてた。仕事は三つ掛け持っててとりあえず寝ない、本当に寝ない。一日二時間くらいしか寝ない。ご飯食べに行けばトンカツのカツだけ三枚おかわりして、合わせて僕にはご飯付きで三食トンカツ頼まれて『アンタは良く喰うからこれくらいいけるよな?』って強制的に食べさせられたり、あの時程若者ぶってパンパン弁当食べて失敗した事は無い。


年長者の飯は残しては駄目なんですね、僕の中で。


でもなんか気に入られて色んな事を教えて貰った、財務整理の仕方、破産宣告の上手いやり方、キンピラゴボウの作り方とかもあったな、何もかも凝り性の野村さんなんで料理も上手くて、もうこの人わけわからんとか思ってた野◯を内緒で◯×な業者からなんたらかんたらどーたらかーたらみたいなもう書いていけない気がしてる事とか。







そんな現場で夢中で働いてる中で




ある日野村さんは倒れた。







僕らはお見舞いを持って病室に行って、野村さんは薄暗い病室で



『寝れないんだよね、ずっと寝なかったから。でも病室は消灯しちまうから辛い』って言った。




『僕は小さい頃、戦争で防空壕に子供の頃逃げて避難してた、爆弾の音と暗闇があるから未だに暗闇と狭いとこが恐怖症でね。エレベーターは未だに怖い。ここもカーテン締めるからね、明かりもつけれないし、毎晩夜がキツイよ。』



なんて言ってて



なんか凄い痩せてしまった。



僕はこの人達、特に野村さん、鈴木さん、井上さんを父親だと思っている。


でも僕はその職場をギターの修業にアメリカまでJAZZを習いに行くと言って辞めてからは戻る事ができない、色んな事情で行けなくなってしまい、半端をしてる僕は戻れないって思うあいだに時は流れてもうみんな何処にいるかも、生きているかもわからないから。




生きていれば野村さんは78だ。




あんなにお世話になって、沢山の背中を見せてくれた人達と恐らく僕は死ぬまでもう会えない。




野村さんは豪快なままだろうか


鈴木さんは再婚を50代でしてから娘が生まれたんだからまだ生きてて欲しい


井上さんは女の人にちょっかいばかり出すから離婚したんだけど、1人娘と電話で話すのが幸せだって言ってた









きっと未だにお喋りなんだろーな。







あの頃の僕はまさにそれだった。



今の僕もそうであるだろうか。




毎日必死で日々を


人生を


生きてたあの頃と


今の僕は恥ずかしくなく向き合えるだろうか


僕はこの頃の事を本当によく日記とかにする



僕とゆう原形を忘れない為に。



野田サリーTVとか滑稽のPVとか眺めながら良く思う。



今の僕はそれでいるだろうか



あの頃の僕は廃棄の弁当を毎日抱えて帰っては食べて


とんでも無い人達に愛されて本気で沢山怒られて


育ったから




今の僕もそうであるようたまに思い出す




なんせそれはまさに












それはまさに青春だったから。
著者:ミケラ

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コメント
井上さんのお話は前の日記で書いていたね。憶えているよ。
  • きし /
  • 2013年08月21日水曜日
  • 01時52分
お、コメントに気付かなかった(笑)井上さんも色々あるよ(笑)あの人はマシンガントークの栃木人だったからね。

この話はちょいちょい書くと思う。
  • ミケラ /
  • 2013年11月01日金曜日
  • 18時07分
 
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